モチベーションは欲求の強さに比例するという話し。
『行きたくない』
ほかのスクールの事はわかりませんが、手力整体塾へ通いだした方達が一度は経験する感情かもしれません。
タイミング的には二通り。ひとつは始めてまだ日も浅い2、3ヶ月の頃、手技や解剖の勉強に身が入らず自己嫌悪に陥ってしまう場合。もうひとつは卒業が間近に迫ってきたところで曖昧な目標に不安を感じてもうひと踏ん張りが利かなくなる場合。で結局その感情に押しつぶされて、いわば中退してしまった人も過去に2名いらっしゃいます。
タイミングは二通りですが本質は一緒だと思います。
少数派かもしれませんが『行きたくない』と一度も思うことなく通い続け卒業し、とんとん拍子で開業して上手くいってしまう人もいらっしゃる。私自信もスクールへ通っている最中に『行きたくない』と思った事はありませんし(だって義務教育ではなくて自分の意思だし)、むしろ卒業がちょっと寂しいくらいでした。
違いはひとえに見ているところだと思います。
前者は『スクールに通う』というところにフォーカスを当てていて、後者はもう少し先のこと、開業してからの事にフォーカスを当てている。スクールは単なる通過点なので、行きたいとか行きたくないとかそんな感情さえ無いのが後者です。
開業してから(卒業後)の事をワクワク考えていないから勉強に身が入らない。卒業が近くなると不安でたまらない。どちらかといえば多数派がそんな状態を乗り越えています。(2名以外は一応みなさん乗り越えていただいてます)
乗り越えてるので結果オーライですが、もし可能ならモチベーションを維持したままずっとワクワク楽しく頑張れるに越した事ないので、原因と対策を先日の授業で考えてみました。臨床の時間でしたけれど臨時MM。4時間ひたすら話し合いでした(笑)
マズローの欲求5段階説
アメリカの心理学者エイブラハムマズローが人間の欲求を5段階のピラミッドで表しています。
生きていくために不可欠な『本能的・生理的欲求』が充たされると、健康や暮らしの水準、保証など『安心・安全の欲求』が現れるといったように、欲求の階層は下層から上層へ一方通行で段階を踏んでいくとしています。ちなにみ『所属の欲求』とは社会での役割や友人恋人などどこかに所属している感覚。『承認の欲求』は尊厳の欲求ともいい、自分の存在意義を認められたいという外的なものと自分自身を尊重する内的な欲求の2つ。最後に現れるのが『自己実現の欲求』なのだそうです。(詳しくはWikkipedia)
面白いもので、ボランティアや寄付などにまったく興味が無かった伊藤も、仕事が軌道に乗ったころからは『誰かの役に立ちたい』とか『誰かの助けになりたい』とかいう気持ちが自然と芽生えてきました(で、東北へ行ったりケニアのデビッド君をサポートしたりしてます)。それまでは下層の欲求を充たすために必死だったのかもしれません。
下層の欲求は子供頃に家族から与えられるもの?
黒子のバスケ事件というのをご存知でしょうか。世間に疎い私は『犯人の最終意見陳述』というのをFacebookで目にして始めて知ったのですが、この文を読んで、安心・安全という下層の欲求が満たされるかどうかは、もしかすると幼少期の体験が影響しているのかも知れないと思った次第です。
この犯人が読んで生まれ変わったという本は多分これです。>>>消えたい: 虐待された人の生き方から知る心の幸せ 。
なんだかわからないけれど上手くいかない。いつも満たされない。自分以外がやたら楽しそうで見ていられない。ダルいとかつまらないとかが口癖になっている。そんな人は1度読んでみると良いかもしれません。正体がわからないから恐い、対策も分からないけれど、案外“知る”だけで解決できてしまう事は多いと思います。
ちなみに、この欲求説は『ユーザーのどの部分の欲求を刺激するか』に置き換えて考えればそのままマーケティングにも使えます。ウェブサイトに必要なコンテンツや言葉の使い方が見えてきますね。
上層の欲求が強ければ強いほどモチベーションは維持できる。上層の欲求を刺激して集めた患者さんは快方に向かうのも早いのです。
あ、生理的欲求以外はもしかすると手力整体塾で充たされるかもしれません。(と、大見得を切ってみるw)