先日の集中講座では御二方が無事認定卒業と相成りました。
遠く山形から4日集中で通ってくれた佐藤さん。もうしばらくキャラクター設定に時間がかかりそうですが、やりながら煮詰めていってください。遠いところよく通ってくださいました。お疲れ様でした。
犬の整体から編入してくれたサトウさん。忙しいお仕事の合間を縫っていつも必ず質問を持ってきてくれるのが嬉しかったです。ありがとうございました。
歌がうまい人は器用?
まずは誰でもカラオケの音を聴く。で、その音に合わせた声を出すべく身体に指令を出す。以前に聴いた本人の歌を回想しつつ、実際に自分の身体から発せられた音声を聴いて微調整を繰り返す。歌いまわしや声量も調整。リズムもズレないように伴奏と自分の声を常に聴きながら・・・・。『歌が上手い人は器用』といわれる所以はこんなところだと思われます。
残念なことに、人間の意識というのは基本ひとつの事しか認識できません。
- 呼吸へ意識が行ったら喉(声帯)はコントロールできません。
- 歌詞の字幕を追っていたら音は聴けません。
- 慣れない動作で右手を動かしている時に、左手を感じることはできません。
- 中途半端な光量の部屋で、『暗い』と『明るい』を同時に思うことはできません。
機能上同時には無理だけれど瞬時に切り替えることはできます。
器用な人というのは、氣(意識)を身体の内にも外にも目まぐるしく巡らせている人なのじゃないかと思いついたのであります。
歩行など全身を動かす動作の場合、大部分の動きは無意識(反射)です。だけれど意識をグルグル巡らすことで、反射を極力減らせる。コレはきっと脳みそのアンチエイジングにもなると思います。
めっちゃ器用な人の元祖は聖徳太子です(ですよね?)。享年48歳とあんまり長生きしなかったようですが、何事も過ぎたるは及ばざるが如し。エネルギー使い過ぎちゃったのかもね。
私パンチ伊藤もそこそこ器用なので、教室で4組の施術がおこなわれていても、患者役4人の身体に必要な事とか術者役の問題点とか把握できます。この程度なら多分長生きできるでしょう。あ、ちなみに『氣を巡らせる・氣を配れる』などと『氣が多い』はほとんど同意語だと思います。聖徳太子はきっと相当な女たらしだったに違いないw。
健さんよろしく「不器用ですから」と、ひとつの事にこだわるのも良いと思いますが、ひとつの事を徹底して続けるにはやっぱり色んな角度から捉える必要があると思うので、不器用にやるにしても器用さは必要なんじゃないかと思います。
健康は器用(氣用)から??!
先ずは身体の隅々に氣を配ってみてはどうでしょう。
身体中を氣が巡れば、慢性痛の多くは自然に解消されていくように思います。
いっつもソコに留めている氣を他へ移してみたら、案外簡単に本質的な原因も見えてくるかもしれません。
冷え性の人などは『足が冷たい』と感じるより前に、足そのものを感じてみてはどうでしょう。布団に入って足に氣を配る。慣れないうちは意識しやすいように少し動かしながらが良いと思います。あ、両足いっぺんは無理です。片足づつで。
足や手で慣れてきたら、身体の至る所で同様のことをしてみると良いです。頭(意識)としっかり繋がるところとそうでないところに氣付くはず。集中してるのに感じられなかったら自分の範疇から逸脱している証拠。それじゃ具合が悪くても仕方ありません。大丈夫、ちょっと練習すればちゃんと全部繋がります。
禅や瞑想を参考に模索して氣を巡らすメソッドにたどり着きましたが、自律訓練法と呼ばれるものが昔からあるようです。その中では両腕・両脚を感じる公式があるようですが、両方いっぺんはシステム的に無理だと思います。
痛みや冷えはもちろん、様々な症状の多くは、ないがしろにされている身体からのサイン。ちゃんとひとつずつ感じてあげましょう。
(それが禅とか瞑想とかってやつです。)
施術も同様。患者さんの身体、自分の身体、小さな情報も取りこぼさないように全ての感覚へ氣を巡らせる事。器用・不器用の差ではありません。氣を配れるか、コントロールできるかの差だと思います。
と、長くなりましたが、先日認定卒業と相成りましたふたりの佐藤さんに送ります。それぞれ自分の身体で色々試して体験を還元していってください。
お疲れ様でした。ありがとうございました。