【基本こそ奥義】痛みの本質
基本手技を磨くのはもちろんのこと、施術を含めた自分がおこなう行為を基本的かつ具体的な言葉で繋いでおくことが肝心。『整体とは体のバランスを整えて免疫を活性させるもの』などという良く目にする説明は抽象的すぎてよろしくありません。
テキスト中心のFacebookからユーザーが離れ、写真や動画でイメージを共有するinstagramが凄い勢いでユーザーを増やしているように、近頃はどうにもボヤッとした抽象的なモノの方が人気を得やすい傾向があるようですが・・・
言葉は難しい。難しいからドンドン減っている。
小綺麗な写真だけならいくら発信しても誰も傷つけないし炎上もしない。そんな心理が伺い知れます。誰からも嫌われたくないのは全ての人に好かれようとするのと一緒。が、残念ながら表裏は一対。ネガティブを無くしたらポジティブも無くなる。
施術は客観的な点数が付かない芸術。一見言葉を必要としない芸術の世界であっても、ゴッホは819通もの手紙を残していますし、ピカソも名言の数々を残しています。巨匠達は言葉を巧みに使っているのです。
1歩先行くために、自分が思う事はきちんとした具体的な言葉で語っていきたいものです。
このまま言葉が減っていったら、リアルな場においても写真やスタンプで感情を表すデバイスを身に着けるようになるかもしれませんね。
『自分で思ってる事くらい自分の声で口に出していってみろ』ってミオネーさんも言ってます。
話を元に戻すと、整体で悩んだ時に返る“基本”は、それぞれの流派が説く理論などよりもっと根っこ。『痛みとは何か』ひいては『健康とは何か』というところだと思います。
痛みは警告
久しぶりに男性の新入生を迎えたスタート講座。
いきなり奥義を垣間見る『痛みとは』という質問にしばらく悩んでいらしたので、『もし痛みという感覚がなかったどうなりますか?』と質問を変えたところ、『無敵ですよね』という何とも狙い通りのお答が返ってきました。
戦時中はモルヒネ大量投与で最強の戦士を造ってましたからある意味間違いではありませんが、痛みがない事はつまり死を意味します。生き抜くために必要な感覚、危険からの回避を促す警告、それが【痛み】です。
痛みは感覚のひとつ
美味しいとか柔らかいとか暖かいとか・・・・感情とも連鎖する感覚のひとつ。基本的にいつまでも続くことはなく、入力がなくなれば消えるものです。
(痛みのメカニズムについては色々なところで書き散らしているのでここでは割愛します。)
他の感覚同様入力ありき。入力という言葉からもわかるように本質的な要因は身体の外にあります。身体の内側に痛みの原因を探さないように注意しましょう。内にあるのは現象だけです。
痛みは筋の酸欠。メカニズムもひとつだけです。膝痛はアレで腰痛はコレで。関節痛・神経痛などなど、細分化してややこしくするのは金儲けの常套手段なのですよ。
何故そこが痛むのか、地球上の全てに作用する物理で具体的に見れば、”肉体的”な理由は明確に浮かび上がります。痛みが生じる順番までも、基本的な生理で見抜けてしまうのです。
危険因子は人それぞれ
『危険から回避せよ!』
痛みという感覚を掘り下げれば本質はひとつ。
機能的なメカニズムも“筋の酸欠”ひとつだけ。
こんな話をしていると『じゃああなたは全ての痛みを取れるのですか』と言われることもあります。そんなわけないじゃん。何が危険なのか、どれくらいで危険なのかは人それぞれ違います。筋が酸欠になる理由も無数にあって人それぞれ違います。(最強最悪は心的ストレスです)
まして、痛みを最終的に判断する脳には時間という概念がありません。悲しいことや悔しいことなどを思い出すと“今”悲しくなったり悔しくなります。そんな脳の特性も痛みと深く関わっているのです。
難しい理論や最新の医療器具は要りません。本質は簡単。だけれど複雑に連関しているので単純な二極論で白黒付きませんし、画像で判断もできません。
整体師は一生勉強。答えを知っているのは目の前に居る患者さんだけですからね。
患者さんお客さんの姿勢や動きなどの状況を、基本的かつ具体的な言葉にすると、抽象的なイメージでは無い具体的な対策が自ずと見えてきます。面倒がらずに亀足戦法。動き同様言葉も丁寧に正確に(美しい必要はありませんからね)。結局それが1番早いのです。