近頃の日本車って格好悪いと思いません?
どこのメーカーも近未来的で、ワタクシのようなオジサンにはどうも魅力的に映りません。

スカイラインとかフェアレディとか格好よかったですけどね、NISSAN(ってPRINCEとDATSUNか)。“らしい”車を作ることが得意だったはずのHONDAも、今や一見どこの車か分からない。トヨタに至っては高級ブランドのレクサスまで含めて迷走しているとしか思えません。せっかく少し格好良くなってハイブリッドの浸透に一役買ったプリウスも、現行のは残念なウルトラ警備隊。社長自ら格好悪さを認めているようなので、確信犯の炎上商法?なのかもしれませんけれど。

四角い箱にタイヤが4つ

先日こんな記事を読んでなるほどなぁと深く頷いたのです。

西暦2017年、すでにアトムの時代を追い越しましたけれど、車には未だタイヤが付いています。四角い箱型ボディにタイヤが4つ付いている乗り物。それが車の本質なのです。

先の記事でインタビューに応えているアウディなども手がけてきたデザイナーさんいわく、ヨーロッパでは車を上から見てまずタイヤの位置を決めていくんだそうです。車体の大きさとタイヤの位置とサイズが車デザインの根幹だからです。

日本でもひとりマツダだけがデザインで気を吐いています。どの車種も全体のバランスがとても良いですよね。ただ、気を良くしてみんな同じ顔にしてしまったので、まるで某国の整形美女軍団みたいですが。

某国整形美女軍団のよう

時代と共に変わるところとDNAを繋ぐところ

ボクらの年代だと憧れの外車はやっぱりアメ車です。必要以上に大きなボディとエンジン、意味の無い羽やデザイン優先のラインなど、無駄なものだらけのアメ車こそ高度成長成り上がりの証w。無駄でもやりきってたら格好良いのです!

21世紀の日本で外車と言えば欧州車がメイン。
フォルクスワーゲン、アウディ、メルセデスベンツ、BMW、ポルシェ、ボルボ、ルノー、プジョー・・・・。ヨーロッパの車も時代に合わせて当然進化していますけれど、ひと目でそれと分かるDNAを繋いでいるところが凄い。アウディのツルンとしたキレイな面やBMWやボルボのグリル、ポルシェのヘッドライト、VWビートルやゴルフは何十年たってもビートルやゴルフそのものです。
まず『車とは何であるか?』という根幹を守りつつ、『我が社とは何ものであるか?』が継承されていて実に文化的です。

日本人は“無い”ことを怖がる

日本人は“ない”ことを怖がるんですよ。エディトリアルデザインでもそうだし、クルマのデザインでも、例えばボディサイドの余白が怖いとかね。日本メーカーは、とくに経営陣は、その余白に耐えられないんです。普通に見られるのが怖くて。ドイツはメーカーもユーザーも余白のもつ深みや強さに価値を見出すような教育を受けているんだと思います。

【知識がない・経験がない・実績がない】
無いことを恐れて色んなセミナーに出まくったり身体関係の本を買い漁ったりするのと、とてもにているように思います。無いは何も無いわけじゃなくて、無いって事実がそこに有る。無と有もバランスが肝心。

細部の形状にこだわると全体のバランスを失う

取ってつけた様なデザインやテクニックは本質をボヤけさせる。『車とは何か』と同じように、『整体とは何か』『健康とは何か』ひいては『人生とは何か』。独自の理論ではなく極当たり前の生理や自然の摂理を繋いで、根幹・本質の部分をブレないように据えておくことが大切だと思うのです。

車からタイヤがなくならない限り、凝ったデザインは奇をてらった小手先のデザインでしかないのです。

VWやアウディのデザインはきわめて普通なんですよ。変わったことは一切やっていない。厳格にプロポーションを決め、肉付けをし、タイヤとのバランスを考える。素晴らしい普通を生みだす作業をしています。

まさにコレ。手力整体塾も何年経っても通用する【凄い普通】を目指しております!
え、ワタクシの車ですか?残念ながらVWでもアウディでもありません。んが、素晴らしく普通なところに一目惚れしたカッコイイやつです。

素晴らしい普通

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書いている人

パンチ伊藤
あっとう言う間に整体師歴19年。現役で施術する傍ら小さな整体塾を主宰しています。当たり前な解剖生理と簡単な物理を繋いだわかりやすい身体の話が得意。釣り/山/島/音楽/映画/生きもの/が好き。2020年から自然農の畑やってます。

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