もう随分前ですが『整体師に向いている人、向いていない人』というブログを書いています。これはいわばモノコト全般の楽しみ方で、実のところ整体に限った話でありませんでした。

向いているかどうかとはちょっと違うかもしれませんけれど、習得の早い人に共通するものが見えてきたのでちょっとまとめておきます。

感覚・触覚の個人差はどこから生じるか

かれこれ18年ほど前。整体のスクールに通いだしたばかりのワタクシ伊藤もそうだったように、コリを感触で捉えることが出来ない人が居ます。『ココ』と言われたところを触ってみても『??』てんでわからない。
伊藤の場合は、やりたいのに出来ないと頑張っちゃう性質を持っているので(釣りもあまりの釣れなさにハマりました)、意地になって練習して感覚を身に着けましたが最初は兎に角チンプンカンプンでした。

整体の学校をはじめてわかったのですけれど、コリを捉えるという最初のハードルが全く無い人もいる。はじめて人の筋肉を意識して触るのに次々とコリを見付けてしまうのは天性のものなのかと思っていましたが、犬の整体師養成講座をはじめてからというもの、受講生の感覚の鋭さに毎回驚かされているのであります。

道具としての手

私達は手を使うために二足歩行になりました。(という説が今のところ濃厚)
脚をあまり使わなくなった現代の生活でも、手は昔と変わらず相当使っています。使う=触っているはずなんだけれど、手の触覚という機能は遠い彼方へ置いてきてしまい、今や単なる道具と化している人が多いようです(18年前のワタクシも)。

視覚に頼り過ぎな現代人
牧場合宿にて『筍は足で(感じて)探す』と言われてもつい目で探してしまう。

感じなくても生きてゆける便利な世の中が人間を不感症にしているのかと思いきや、人間の性質を憂いて500年も前にダビンチが嘆いていました。(このブログをずっと読んでくれている人はそろそろ目にタコが出来るかもしれませんがw)

見ることなく見る、聞くことなく聞く、感じることなく触れる、味わうことなく食べる、筋肉を知覚することなく動く、匂いをかぐことなく息を吸う、考えることなく話す

痛みなどの症状は偏りを感じてもらえない身体が発するサイン。我々整体師・療法家には、ご本人が感じなくなっている偏りを感じ取ってお伝えする役割があります。だからしっかり感じるまで五感を開放して受け取る。“気付かされる”のではなくて“気付く”ためにアンテナを立てていたいのです。

感覚器としての手

犬の整体師養成講座へ参加してくれる方は、日々犬や猫と触れ合っている人ばかりです。動物達と触れ合う時、手は道具ではなくきっと感覚器なのだと思います。だから犬の人達はいとも簡単にコリを捉えるのではないかしらと思った次第です。

老化防止とかボケ防止に手作業が良いというのがスタンダードだと思いますが、単なる作業じゃイマイチなんじゃないでしょうかね。脳から部位へ指令を送る遠心性神経と、部位から脳へ信号を送る求心性神経。楽しく生きるためには求心性神経の方が大切な気がします。動かせるけれど感じないようでは楽しく無さそうですからね。

動物と触れ合う機会があまり無い方は、どうか御家族と沢山触れ合って下さい。動物も触れる人も居ない場合はやっぱ釣りだな!w

まとめ

整体師を目指すなら日頃から、道具としてだけでなく感覚器として手を使いましょう!

気まぐれ更新を見逃さないようフォローする