昨日、4日集中講座が終わってスマホを開いたら栗城事務所からメールが届いていました。
合宿ブログを書かなきゃいけないところですが、居ても立っても居られず哀悼の意を表しキーボードを打ちます。
2010年2月以来、我がサイトのトップページにもリンクを張り応援してきた栗城史多君がエヴェレストで亡くなりました。
12年4月と17年2月には本人にも会い、普通の兄ちゃん振りにえらく感心したものです。
単独・無酸素というキャッチフレーズや、登山家という肩書の割に随分長いこと頂上に立たなかったので『下山家』などと揶揄されバッシングが絶えなかった栗城くん。
それでも本人はどこ吹く風、自ら(もしかして周りの大人が?)ハードルをドンドン上げていくさまを見て、割と早めに「あ、この人は登る気無いんだな」と気付き、早く【挑戦家】に肩書を変えてしまえば良いのにと思っていました。
天候の関係で唯でさえ登りにくい秋のエヴェレストに6回も挑戦し、春に季節を変えてからも多くの登山隊を避けて北陵とか南西陵とか登頂例が極めて少ないところへ挑むなんて、登りたい人のやることじゃないのは素人目にもわかります。
だから『応援してる』と言っても登頂を祈願して応援しているのではなく、栗城史多というバカな兄ちゃんを応援しているのであります。(塾生の多くは気付いていると思いますがワタクシが言う『バカ』は最高の褒め言葉です)
単独・無酸素の登山家を掲げていた事で登山界からは総スカンを食らってました。
何度か一緒に釣りをさせてもらった14サミッターの竹内さんも、随分前に苦言を呈していました。(竹内さんは優しいのでやっぱり周りの大人を疑ってました)
竹内さんの舞台がガチンコの総合格闘技だとすれば、栗城君の舞台はプロレス。
竹内さんが青木真也(いやキャラ的には桜庭だけど)だとしたら栗城くんは猪木かライガー。青木を知らない人は沢山いるけれど猪木は皆んな知ってる。実際、チーム栗城の多くの人が竹内さんを知らなかったことに驚いた。つまり登山に興味無かった人達の視線を登山やヒマラヤに向けたのは紛れもない栗城君の功績だと思う。
お陰でワタクシもネパール釣行をより愉しめたのです。
目標や手段はいくら変わっても良い。大切なのは方向となる目的だ。
登山家の多くが「そこに山があるから」なんて曖昧な理由しか言えないのは、目標だけがあって目的が無いからだ。栗城くんには『既存の枠にとらわれない挑戦』という目的があった。ここを一言で言える事は何よりの強みだ。
だけどね栗城くん。途中でやめたらタダの人だよ。アートだって途中でやめたらタダの落書きだ。まして死んじゃったらそれ以下だ。「挑戦なんて危ないからやめとけ」って事になっちゃうじゃないか。
目的の方向へ向かう通過点として登頂があって登山は手段のひとつでしか無いのだから、指を失った辺りで他の手段を選ぶことも出来たはずだ。なぜ他の挑戦へ切り替えなかったのか悔やまれてならない。
ガチンコとショー、登山と挑戦の違いがあっても、そこは一瞬の判断ミスも許されない世界。20日、C2からC3まで12時間近くかかって21日朝には下山を決めたメールが届いたけれど、次に届いたメールはいきなり訃報を知らせるものでなんとも受け入れがたいのであります。
死んじゃダメだよ。死ぬのは反則だ。冥福なんか祈るものか。