先日のエントリーで『自然も身体も多様性と循環がキモ!』と〆ましたが、そもそも多様性とは何か、一度整理しておきます。
多様性(生物多様性)には、以下3つ要素があります。
遺伝子の多様性
いわゆる人、ホモサピエンスというひとつの種でも、個々を見分けることが出来るように、ニワトリでもカブトムシでも個々がそれぞれの遺伝子を持っています。アサリの柄がひとつひとつ違うのもその現れです。
もしみんな同じ遺伝子だと、同じ病気に全員が感染して簡単に絶滅してしまいます。
種の多様性
単純にいえば多くの種類が存在していること。
学問的に確認されている地球上の生物の種数は、国連環境計画(UNEP)の「生物多様性評価(GlobalBiodiversity Assessment)」によると約175万種とされていますが、細菌や昆虫の類はほとんどが未確認で、一説には1億種を越えるとも言われています。
生態系の多様性
様々な環境とそこに暮らす様々な生物が織りなすサイクル=生態系。
山、海はもちろんのこと、間を繋ぐ川でも早瀬や淵やトロ場があるし、陸地でも湿原、砂漠、ジャングル、氷河、干潟、深海・・・高木、中木、低木、草原などなど、様々な環境と生物のサイクルが連関している様『生態系』です。
失われていく多様性
日本固有亜種のニッポンバラタナゴは、大陸からやってきたタナゴと交雑が進んで、純粋なものは絶滅の危機。種の多様性が失われつつあります。
外国からの外来生物に限った話ではなく、東京に居たアズマヒキガエルは国内外来生物のニホンヒキガエルと交雑。やっぱり絶滅の危機。ホタルや鮎、メダカなど国内での移入・放流も種の多様性を損なう遺伝子汚染の大きな要因。
在来種が減少の一途をたどると、近親交配が進んで遺伝子の多様性が失われるという側面もあります。
人間の女性は、強い子供生むために自分と遠い遺伝子を持つ男性を嗅ぎ分ける能力があると言われています。が、それはつまり純粋な在来種(生粋の日本人とか)が失われていく事になるのかもしれません。
もうすでに人間が暮らす生態系、生活環境や食べ物は土地古来のものと掛離れ、何処もかしこも似たような状態を呈しています。遺伝子が侵されなくても、生態系の多様性が失われて似たような人で溢れてきています。
わが町湘南台を流れる引地川で鯉が泳いでいるのを見付けて喜んでいる人を見掛けますが、生態系の多様性が失われた三面護岸で、“鯉しか住めない”というのが現実なのです。
生態ピラミッド
(海山ごちゃまぜですみません。)ホントはもっと細かい階層のピラミッドです。底辺が大きけれ大きいほどば安定したピラミッドを形成できます。
人間が頂点に立っているとは言わないけれど、コントロールしようとしているのは人間だけ。人間が特定の種を増やそうとか減らそうとか余計な手出しをしなければ、逆転が起こったとしても一時的なもの。種の継続を使命としている野生は、逆転=自らの絶滅って事を知っているように思います。自然は人間ほどバカじゃないのです。
ってことで身体も多様性と循環がカギ
生物多様性。これはとても深いテーマなので、只の釣りバカ整体師が一朝一夕で語れることではありませんけれど、やっぱりカラダも同様だと思います。
37兆2000億の細胞と数倍の微生物・細菌を、海水もろとも皮膚で包んでいるのがボク等の体です。体の中で生産者と消費者がピラミッドの様に構成されて、互いに連関し合いながらそれぞれの役割を果たし多様性が維持されています。
抗生物質なんか摂り過ぎると必要な細菌もゴッソリ死ぬのです。
食べ物の偏りはそのまま体内生態系の偏りになります。
動作の偏りは循環に偏りを生みます。
どれだけ健康食品を食べても、一生懸命運動しても、沢山寝ても・・・単体では意味がなく、それぞれが全部繋がってはじめて成り立つ。
情報に踊らされて余計なことをしないように。何が必要か必要でないか、カラダで感じることがとても重要だと思います。
古来この国には多様性があったのです。なんせ神様が八百万ですからね。
山も川も海も四季もある。まわりをキョロキョロして答えを探さず、多様性を楽しみましょう。
先日は鎌倉での塩炊きに参加してきました。身体の大半は海水。だから呼吸と同じくらい重要なのがミネラルを含む塩です。で、海水は何かっていうと、ボク等の排泄物だったりするわけです。まさに循環です。何を出すかで入るものが変わるのであります。
多用なものが循環している事がすなわちエネルギー(命)なのかもしれませんなぁ。