週末、手力整体塾2017がはじまりました。
仕事から開放された途端体調を崩した人も居たようでうが、概ねそれぞれのお正月を楽しんだ様子。昔々の人が考えた『年中行事』は自然の成り行きに身を任せつつちゃんと理屈が通っています。意味を考えながら大切に繋いでいきたいと思います。
「脚が前に出ない」などと訴えられた時どこから考えたら良いか
新年早々の授業に相応しい質問が出たので、あらためて『整体師とは何をする人か』という本質に迫る話をしてみました。いつも小出しにしている話を繋いでひとつにしただけですがね。
一般的にはどうしても『コリをほぐす人』『骨格を矯正する人』とイメージされる整体師ですが、それだけならマッサージチェアでも格闘家(矯正するわけじゃないかww)でも良いと思います。
何処へどんなアプローチをするか。何故そのコリを解くのか、何故その矯正をするのかが問題。何故かを知らずにやっているだけの人は整体師とは呼べないわけです。
身体は100人100様なので、教わった“何故”だけでは辻褄が合わない場合も多い。上記、新年早々の質問は「どうしたら良いか」ではなく「どこから考えたら良いか」ってところが素晴らしいのであります。答えを教えない手力整体塾のマインドがちゃんと伝わっているようで嬉しくなりました。
整体師は翻訳家です
外国語を日本語に訳す翻訳家。別の言語で書かれた文章の意味を損なわないように、作家さんの伝えたいことを出来る限り忠実に伝えるように言語を訳しているのが翻訳家の仕事だと思います。
もしそこに翻訳家の思考が入り込んだらどうなるでしょう。作家の意図しないものが伝わるかもしれませんし名作が駄作になるかもしれません。余計な思考はありがた迷惑。本来の意味を変えてしまってはダメ翻訳家ということになります。ありのまま伝えるための言葉選び、創意工夫が腕の見せ所なわけです。
整体師も全く一緒です。
- 身体の声を翻訳して共通言語・標準語にすること
- クライアントの身体(肉体)と意思(脳)のギャップを埋めること
この2点が整体師の本分。ギャップを埋めるためにも『身体の声を共通言語に訳す』が欠かせない仕事になります。
コレさえできれば患者さんの身体と筋骨格系の参考書を繋げることができるので“考える”必要もほとんど無いのです。もし繋げ方がわからなくても、共通言語にさえ訳せていれば先人達にたずねることができます。
翻訳という作業だけはクライアントを目の前しているアナタにしか出来ません。翻訳家が“考えて”しまったら本来の意味が変わってしまうのでダメです。『脚が前に出ない』とはどういうことか、ありのままを筋骨格系の解剖テキストに載っている共通言語に訳すのが肝心です。
この時大切なのが『視点・視野・視座』。翻訳作業よりも気付ける柔軟性を手に入れる方が意外とハードルが高いようです。ま、ココは習うより慣れろです。
感覚は大事!だけど感覚は曖昧
スクワットの際に収縮する筋肉を感覚だけで正確に指差せる人はほとんど居ません。もちろん五感で感じることはとても大切。んが、感覚は個人差があって共通ではありませんし案外曖昧なものでもあります。クライアントの大切な身体に触るのに曖昧では宜しくありません。
感覚が曖昧になっている要因のひとつに、ボキャブラリーの少なさがあるようにも思います。
なんちゃってレポーターに掛かると「あまーい♪」「やわらかーい♪」が“美味しい”の最上級ですが、味覚は本来、甘み・酸味・塩味・苦味・うま味と5種類。そこへ鼻から抜ける風味と辛味や炭酸などの刺激、温度、舌触りなどの食感も合わさって『美味しい』となるわけです。
味覚意外も、ダルい、ヤバい、かわいい、ムカつく・・・・これだけで日常を過ごしている人は結構居るのじゃないでしょうか。
試しに怒りの感情を表す言葉を並べてみます。
腹が立つ、頭にくる、苛々する、むしゃくしゃする、癇に障る、苛立つ、激昂する、怒る、角が立つ、憎たらしい、虫酸が走る、憤慨する、憤怒する、激高する、堪忍袋の緒が切れる、腹に据えかねる、切れる、ムカっとする、カチンと来る、激怒する、怒髪天を衝く、怒り心頭、プッツン、ご立腹、逆上する・・・・などなど。
腹が立つのと頭に来るのとでは怒りを感じているところが違うわけです。どこで・どんな怒りを感じているのか、出来るだけ正確な言葉を選べば感覚も変わってくるように思います。
美しいさより正確さ
『100歳の少年と12通の手紙(Oscar et la Dame rose)』という映画があります。
白血病の少年が唯一心を開いたド派手な元プロレスラーのオバちゃんローズ。彼女の言葉はとても乱暴で少々汚らしいけれど正しいのです。だから少年はローズとだけは話した。終盤、無力さに打ちひしがれている院長を救うのも、辛辣で汚れているけれど正確なローズの言葉でした。
正しい言葉は美しいとは限らない。
取ってつけたような表面だけの言葉は往々にして正確では無い。
どうも近頃は嫌われたくないのか炎上を恐れているのか、ふわっとした曖昧な表現がいたるところに溢れていますが、多少汚い言葉だとしても的確な表現をするのは大事なんじゃあないかしらと思うのです。
ふわっとした曖昧な言葉でしか身体の状態を表現できない整体師・セラピストでも、クライアントが喜んでいるのならそれはそれで良いのですが、曖昧な言葉を発信して善良な市民を惑わすようなことはしないで欲しいとお願いする次第です。
まとめ
身体の状態を共通言語に訳す。それが整体師の本分です。
大切な感覚が曖昧にならないようにするためにも、的確な言葉を選べるだけのボキャブラリーを持ちましょう。
状況を表すのに正確な言葉かどうか、発する前に一度考える余裕がほしいですな。
日本語って多様過ぎて難しいけれど、だからこそこの国には八百万の神様が居たんじゃないでしょうかね。
身体の状態を適切な言葉に訳すだけで身体が変わってくる人が居ます。塾生の身体も随分と変化してきました。