手力整体塾@からだ応援団のパンチ伊藤です。
何かにつけ不安を感じ安心安全を求める人が爆増している昨今。不安に漬け込むビジネスも跡を絶ちませんが、不安も安心も『左脳が作り出す幻』だというおはなしです。

不安がなくなる生き方のはなし

不安は弥生時代から?!

旧石器時代。人々は狩猟・採集しながらの移動生活。未だ火を使えないので獲物は生食。沢山とれても食べてしまう以外手段がないので、コミュニティーで分け合うのが当たり前。未だ『我』という概念そのものが無かったのかも知れません。

縄文時代。竪穴式住居に定住するようになってきます。『私の家』という存在が現れ『我』が顔を出すと同時に、火を使うようになって獲物の保存が出来るようになると、『私のもの』が次第に増えてきます。

弥生時代。定住先での農耕がはじまります。長期保存できる穀物が耕作出来るようになったら、今日の分だけじゃなく明日の分、来月の分、来年の分・・・、未来を考えるようになって『私のもの』はドンドン増えました。

するとどうでしょう・・・・不安な思考もドンドン増えました。
長期保存・保管のシステムが確率されればされるほど、定かでない未来のことに思いを馳せ、溜め込んでも決して拭うことが出来ない不安に支配されるという泥沼状態。
狩猟していた頃は当たり前だった分け合いはなくなり、独り占めや奪い合いも当たり前になってしまいました。

持てば持つほど、貯めれば貯めるほど不安が募るのは現代社会でも全く一緒だと思いますがいかがでしょうか。

アマゾンの子どもに大袋のお菓子をあげると、今自分が食べる分を取ったら周囲の子どもに分けるそうです。フィリピンで町を案内してくれたスラムの子にチップを上げたら、それでお菓子を買って周囲に配り出したりする。現代でも『今』を生きている人達は当たり前に分け合っているのです。

どうなるかわからない先のことばかり想像して不安を作り出し、独り占めや奪い合い・・・・どれだけ持ってもどうなるかわからないんだから決して安心なんて出来ないのにね。

不安は幻

山で熊に出会うかも知れないと思うと不安ですが、実際目の前に熊が現れた時に感じるのは不安ではなく恐怖です。不安は常に不確かな未来にあって『今ココ』にはありません。想像上の感情、フィクションの賜物、不安は幻です。

近年科学の進歩は目覚ましく、詳細なゲノム解析から過去のことは相当解明されていますが、どれだけ科学が発展しても未来のことは誰にもわかりません。不安は幻。つまり対局にある安心という感情も幻なのです。

計画性とか成長戦略とか大事なのかもしれませんが、明日生きているという保証は無いのが事実。今ココで出来る事やりたい事をやり続けていれば勝手に成長して自信がついてきます。

先の事を考えずに暮らしていると「能天気」などと言われることもありますが、どれだけ考えても1分1秒先のことすらわからないのが真理なので言いたい奴には言わせておけば良い。今やる事やっているなら言ってるだけの奴より成長できますからね!

不安と安心。この言葉は不安を煽って安心を売る詐欺師が考え出したんじゃないでしょうかねぇ。どっちも実際には存在しないUMAみたいなもんですからね。

左脳が脳卒中を起こした

脳卒中を起こして自分の左脳が機能を失っていく様を克明に語る脳神経科学の専門家、ジルボルトテイラーさん曰く、「『我』がなくなり宇宙の細胞の一部として今ココにあるのは奇跡で幸福に満ちていた」。

数字・言語・過去・未来がある左脳が機能停止。『私』を隔てるものがなくなり『世界』と『今』だけになったら、一切の不安が消えこの上ない幸福感に満たされたそうです。

幸せな脳の使い方

脳は左右に分かれていてかなり明確な縦割り行政です。
左脳が機能を失うと言語と数の概念が消える。数が無ければ『我』も無く時間も無いから過去も未来もない・・・すると幸せだけが溢れるようですが、言語や数字の認識ができなければ実際の生活は困難極まります。

健康な脳では脳梁を介し左右で情報のやり取りが行われていて、片方だけ優位に働かせるというのは現実的ではありません。しかし使い方の癖みたいなもので優位に働くところの組み合わせが変化するような気がします。

近頃は情報のシェアが写真や動画、いわゆるIMAGEに偏っていますが、それも不安が増えている要因じゃないかと思うのです。
情報が言葉と文字しかなかった頃は今よりも不安が少なかったんじゃないでしょうかね。

文章を書いたり本を読んだりしている最中に、余計なことを考えることは出来ません。しっかり「イマココ」じゃなきゃ、ある程度長さのある文章を書くことはもちろん、読んで理解することもままならない。
対してIMAGEは、「晩御飯どうしようかなぁ」「あれ、鍵閉めたっけかな」「あ、コレはアレに使えるな」などなど、イマココから離れたことを考えながらでも見ていられます。

【言語⇔イマココ】
【IMAGE⇔未来過去】

この組み合わせに成りやすいんじゃないでしょうかねぇ。

昨年認知症を発症し私のリソースの多くを投入せざるを得なかった同級生は、幼少の頃から絵を書き音楽を聴いていました。それだけ色々聴いているなら分析して文章にすればきっと良いことあるのにと何度も言いましたが、1度たりとも文章化はしませんでした。
右脳が司る非言語的な音響情報と抽象画に偏った彼の脳から言語と数字が消えたのは、「食べすぎて太った」のとあまり変わらないのかも知れません。

IMAGEに偏り未来に不安をつのらせてばかりいると、早々にボケちゃうかも知れませんよ!

文章を書くと不安が消える

唯一明確なイマココで出来ることをやる。実行してもそこで終わっていたなら獲物を狩って独り占めしているのと同じなので、体験経験は文章にして誰かに分ける。そうやって『イマココ』を繋げていけば自分がナニを不安に思っているのか明らかになります。そしてソレは今ココに存在しないこともわかります。

お喋りではあまり効果がありません。IMAGE同様、今ココ以外をアレコレ考えながらでもお喋りは出来てしまう。言語という意味では同じだけれど、『今』を大事にするなら文章にして書き残すこと。

適切な『てにをは』と『接続詞』を使って言葉を繋ぎ文章にする作業は『今ココ』を強調してくれるばかりか体験経験をブーストしてくれます。
発見も習得も理解も高次元になるし、不安はなくなるし、ボケ防止になるし、場合によっては商売にまでなる。デメリットは運動同様疲れるくらいなので、みんな文章書いたら良いのにと本気で思います。

一昔前まで、文章にして誰かに分けようと思ったら書籍化くらいしか手段がありませんでしたが、今は便利なシェアツールが沢山あります。見ているだけでは毒にしかならないSNSも『分ける』マインドを持っていればとても有難いツールに早変わり。

わざわざ何かやったり何処かへ行ったりしなくても生きてるんだから毎日ナニかあります。今ココを文章にしてSNSでわけましょう。不安は幻だと実感するはずです。

不安と整体

不安は強烈な心的ストレスです。心的ストレスは最大級の血行不良要因なので、肉体的に血行不良が生じているところに追い打ちを掛け痛みを引き起こすことがあります。肉体的なアプローチだけでは取り切れない痛み、不安な感情をコントロールしない限り消せない痛みがわりとあるのです。

もの凄く痛がりだった私の母は、地震も雷も台風も気付かないほど立派な高齢者マンションに引っ越して4年で痛みを訴えなく成りました。
「もうあとはお迎え待つだけ」そんな領域まで達しているお年寄りの多くが「痛くはない」というのも、もう不安がないからでしょう。

『クライエントの不安を取り除く』というのも我々の大切な使命なのであります。

不安と安心は幻。詐欺師が創った概念です。
あたかも存在するかのように幼少期から植え付けられているので簡単にはマインドチェンジしないでしょうけれど、今ココに集中していればいずれなくなります。1分、1秒後に死んでも良いように、今ココを全力で面白がりましょう!

最後に。
ジル博士の一件。もし右脳が機能を失ったらどうなったのか非常に興味深いです。『イマココ』が無ければそれはきっともう生きてないのと同じなんじゃないでしょうか。
文章を書く気にもなれないくらいイマを受け入れがたいならすぐ逃げ出してください。大丈夫、アナタが逃げてもオオゴトにはならない。何度も言うけど『今ココ』以外は幻想です。逃げても生きてれば今が繋がります。全集中!今ココ!

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