手力整体塾@からだ応援団のパンチ伊藤です。
この2ヶ月ほどワタクシの心身の大半を注がざるを得なくなったおはなし。友達がアルツハイマー型認知症を発症したらあなたはどうしますか?
友達が若年性認知症になった
少年期に受けた強烈なインパクトを度々思い出し、何度も検索したほど願っていた再会が叶ったのがちょうど10年前。当時の喜びがこちら↓
面白さは健在だったのでその後度々遊ぶようになり、山を歩いたり畑を手伝ってもらったりしていました。
『共感できる感性がありつつも予測不能な行動』
想定外な行動や発言こそワタクシが思う『面白さ』なのですがココ1年ほどのトンチンカンぶりは流石にちょっと病的だったので、どんな病院へ行けば良いものかと色々調べている矢先に・・・・
母がなくなりました
8/30早朝、共通の友人(同級生)からLINE着信。
台風の影響で記録的な雨が降る中「母親が亡くなった」と伝えに来たらしいけれど、まだバスも走ってないAM4:00だし自転車も見当たらないし土砂降りだし、いつどうして亡くなったのかもどうやって来たのかさえもまるで要領を得ず埒が明かない。
施術予約があって合流できない私同様、同級生も仕事があるので手ぶらの彼にお金を持たせ取り敢えず家へ向かわせたと数時間後に連絡。ひとりで帰したことに「あーぁ」としか言えなかった。
夜、彼が母親と住んでるマンションを訪ねる。部屋に電気はついているもののインターホンに応答はなく家電も出ない。自転車は駐輪場にあった。嫌な予感しかしない。
同日深夜、茅ヶ崎警察署から電話。あまりの事に1度スルーする。直ぐに2度目のベルが鳴る。嫌な予感は少し良い方へはずれて保護されていた。「手力整体」の名称を正確に言えたのは褒めたい。
ウチで朝を迎え母親が亡くなったと言う病院へ向かう。
「○○さんという方がこちらで亡くなったようなのですが」
『・・・まだ入院してますね』
ウンコ漏れるかと思った。兎に角2人共生きててよかった。
誰でも簡単にホームレスになる
9/4。母親は入院中なのでひとりにするわけにいかずずっと一緒に居る。
病院や近所の人とのやり取りから少しだけ状況が明らかになる。
どうやら自宅近所の地下通路で母親が倒れたのが8/27。通行人が救急車を呼んでくれてそのまま手術入院。母親が持っていた貴重品は病院に無く、同乗した彼に託したようなのだけれど、30日友人宅へ現れた際は完全な手ぶら。
家の鍵、現金、通帳、クレジットカード、身分証的なも、自転車の鍵・・・家中探しても見当たらないので28~30までの間に何処かで無くしているらしく、警察署へ行って遺失物届を出す。
玄関の鍵は鍵屋さんと警察の立ち会いで何とかなったけれどオートロックの鍵は未だ無いので、住人の協力が無ければ自宅に入れない。
保険証にしてもマイナンバーにしても再発行するには身分を確かめるものが必要なわけで、家中探し回って役に立ちそうなものをかき集めなんとか再発行にこぎつける。
1度住所を失ったら現行の制度だと社会復帰は困難。『家を捨てて車生活』なんて人がSNS上にちらほらいるけれど、住所がなかったら車も免許も持てない。勘違いしないように。
アルツハイマー型認知症
9/5。母親が入院している病院でソーシャルワーカーと役所の福祉課と包括センターと会議。救急で運ばれた際の様子で状態を察知して、母親が退院出来たとしても今まで同様の二人暮らしは困難と判断してくれたらしい。とはいえ、この時点で建設的な話が出たわけではなく、病院サイドは医療費をどうするのか確認したかったようだ。
その足で脳神経外科へ。
既に年金などもらっているお年寄りなら話は早いのだろうけれど、56歳が公的な福祉サービスを受けるにはまず明確な診断が必要。あちこちの病院に電話をかけ、数値で正確に脳の状態を診られる病院へ行くことに。
VSRADなる検査の結果、VOI内萎縮領域の割合56.36%、萎縮度2.38。正真正銘のアルツハイマー型認知症であることが判明。翌週に口頭での検査も受けて診断書を書いてもらう。
9/17。診断書を持って福祉課へ。
これで肩の荷が下ろせるかと思いきや、障害?介護?の種別や等級の選定に1ヶ月ほどかかるという。
私はワタシで生きていかなきゃならないので、今後は食料補給だけして自宅軟禁で耐えてもらうことにする。
10/8。週2回の食料補給をはじめて6回目。
腰のあたりを強烈に痛がり、立たせたら脚ガクブル状態。アレコレと動きを指導してうっかり解消しそうになったけれどハタと気づいて救急車を呼ぶことに。
未だ母親が入院中の病院へ運んでもらって、あわよくば検査入院でもしてもらえたらという思惑。翌日早々に福祉課へその旨伝えて、少なくても退院させられるまでは一息つける気がしていた。
10/15。
1週間何の連絡もないので福祉課へ電話。なんと早々に退院させられていたことを知る。
親族じゃないので病院から連絡がないのはわかるけれど・・・・「毎日行っているものだと思ってました」などと平然とのたまう福祉課に不信感。嫌悪感しかない包括センター職員よりはマシだけれど危うく餓死させるところだった。
救急隊員に説明はしたけれど、搬送が18:00頃だったので事情を把握している病院スタッフがいなかったのかもしれない。
そして10月末。
福祉課からの連絡はないが介護認定延期の通知が届く。
来月の初旬にさらなる検査が決まる。
週イチ食料補給は続けているけれど母親は退院すること無く施設行きになりそうだしずっと1人で軟禁状態だと症状が加速していくし、少しでも早くグループホームなりなんなりの施設で暮らせるようになってもらいたい。
遊んでいるぶんには面白いけれどずっと遊んでいるわけにはいかないので。
若年性アルツハイマー型認知症を発症した男の特徴
役に立つことをやってもらうとまるで役に立たないのでイライラするけれど、役に立たないことをやらせてみると思いもしない行動をとるので腹抱えて笑えます。「天然ボケ」とはよく言ったものですが、どこまでが天然でどこからが病的なのか見分けるのは難しい。
彼の場合、今の時代ならADHDなりサヴァン症候群なり少年期に診断がでていたんじゃないかと思います。それくらい変わった奴でしたからね。
再会して以来病的なボケが出てくるまに感じた彼の特徴をいくつか上げておきます。
お世辞や社交辞令が多い
いつ、何故そうなったのかわらないけれど、再会してからの彼はやけに他人への気を使う様になっていた。それが『素』なら別にいいのだけれど、本音と別の建前が沢山存在しているのが手に取るようにわかる。本来の自分と成りたい自分との隔たりがちょっと痛々しかった。
お世辞や社交辞令はいわば嘘。嘘は忘れることが前提なので繰り返していたら忘れっぽい脳になっていくんじゃないかと思う。
何でもかんでもすぐ人に聞く
お店の場所だろうがトイレの場所だろうがとにかくその辺の人に聞く。目の前のメニューを見ずに店の人に聞く。
「効率」を求めたらそうなるのかもしれないけれど、自分の労力をとことん使わければ生きる力が衰えても仕方ないかも。
自分の労力を使わないという点では、自動精算機に有り金全部入れるなんてこともしてた。
我が強い
人に聞いているのに「オレのやり方でいい?」などとのたまう。
これは案外彼に限った話ではなく、何でもかんでも人に聞く人の方が何故か我が強いように思う。
これはつまり『人の真似をしない』(できない?)ということでもあるので、絵を描かせたりすると一転して特異な才能を見せることに繋がる。ありもしないものを絵に描けるのは私からしたら本当に不思議。
マイルールにこだわる
我が強いのと同じか。
運転をしないこともあってか、車は停まったり避けたりしてくれるものだと思っている。山へ行ってもわざわざ変なところを歩く。世間一般のルールは守らないのに自分勝手にこしらえたマイルールにはこだわる。子供の頃は得てしてそんな奴が人気者だったりする。
過集中
2016年に材木座海岸での塩炊きに参加した際、海水を沸かしていたステンの風呂桶をずーーーーっと磨いている彼を見て呆れるやら納得するやら。
畑の草刈りなども下手に頼むと見境なくいつまでも刈るから怖い。
振り返りをしない
ボケ老人よろしく小学校時代の思い出話などは良くするのに、先月、先週、なんなら昨日のことを全く振り返りしない。
2021年、一緒に行った沖縄についても「凄く良かった」というばかりで、何がどう良かったのか話したことがない。
繰り返し振り返らなかったら誰だって忘れる。ROMに保存はしたけどどのフォルダかわからなくなるようなもの。仕舞った引き出しを定期的に開け閉めしておかないと引き出し自体が動かなくなる。脳も身体も隅々まで程よく動かすのは凄く大事。
母親が倒れたのが最後のトリガー
昨年あたりから病的なボケが散見されるようになって自分でも違和感を感じている様子でしたが、母親が倒れて救急搬送されたショックで一気に症状が加速したものと思われます。
何科へ行ったらいいのか
一見単純な腰痛などでも、整形外科なのか内科なのかはたまた民間療法の整体等なのか、専門家でないと判断が難しいところですが、「天然ボケが過ぎる」ような場合何科へ行ったらいいのかも悩むところ。
いわゆる『主治医』がいればそちらで相談されるのが一番と思われますが、まずは『もの忘れ外来』へというのが通常の流れだと思います。
んが、もの忘れ外来を開設していても土曜の午前中だけとかかなり時間が限られるところが多く、何週間も予約で埋まってる場合が多いようです。
今回は急を要したので、包括センターに勧められた病院へまず電話したところ、認知は専門外ですと言われ、「認知なら◯◯病院」と紹介されたところへ電話。詳しい検査が出来ないので「◯◯病院で画像を」と言われて3軒目で検査に至った次第。精神科→認知症治療医院(精神科)→脳神経外科という流れでした。
色々と想像以上の手間がかかるので、精神障害や知的障害が疑われるようであれば早めに動いていたほうがいいかもしれません。
【恐怖】増え続ける高齢者と障害者
日本の高齢化が凄まじい勢いで進んでいることは皆さんご存知だと思いますが、実は障害者も右肩上がりで増え続けています。
高齢化が進むに連れ障害者が増えるのは当たり前と思うかもしれませんが、上のグラフは『身体障害者』のもの。知的障害者数だと一変してこうなります↓。
95年をピークに減り続けているいわゆる【生産年齢】の知的障害が爆増。コレはちょっと異常事態だと思うのですがどうでしょう。
2022年12月時点の障害者数は1164万6000人。5年前に比べ24.3%も増加し、全体の5割強を精神障害(知的障害含む)者が占めるに至ってます。
様々な障害が認知され、検査を受けたり障がい者手帳を取得したりする人が増えたことも要因だとは思いますが、減り続けている生産年齢の障害者が増え続ける・・・・恐怖を感じるのは私だけでしょうか。
ボケないために出来ること
生まれながらに障害を抱えてしまった人、不慮の事故や難病で障がい者手帳を持つに至った人には心からお見舞い申し上げます。
一方で、先天的な障害も不慮の事故も難病もなく福祉サービスを受ける事になる人がかなり居るように思います。
ボケたくないと思う人は是非今一度、少し遡って認知症を発症した男の特徴に目を通してください。
困ったことに今こんな人だらけじゃないですか?
何でもかんでも「教えてちゃん」で溢れるThreads、マイルールにこだわって煽り運転や苦情、イメージだけ(写真・動画)のSNS・・・そんな行動を出来るだけ真反対にすれば遠ざけられるんじゃないかと思うのです。
彼にはたまたま私という存在がありましたが、ボケても頼れる人がいない私が自らに掲げている三ヶ条がこちら
端的に言うと、【気づく】【繋げる】【共有する】。
あ、陰謀論とかエセ健康法などをエンタメと認識して楽しむ分には良いけれど、リアルなのかリアリティーなのか自分で調べて判断出来ないなら距離をおくことも大事。妄想と現実の区別がつかないのも立派な障害です。
最後に
今の世の中、多分みんな生きにくい。
多かれ少なかれ得手不得手は誰にでもある。広い意味ではみんな発達障害とも言えるわけで、生きやすい環境に身を置く努力を惜しんだら生きにくさは増すばかりです。
幸い我が国は、日本国憲法、第三章 国民の権利及び義務において以下の自由が保証されています。
- 第十九条 思想及び良心の自由
- 第二十条 信教の自由
- 第二十一条 集会・結社及び表現の自由
- 第二十二条 居住・移転・職業選択・外国移住及び国籍離脱の自由
- 第二十三条 学問の自由
国から与えられた土地以外住めないとかカースト以外の仕事ができないとかいうことがない。公共の利益に反さない限り、どんな思想でもどこでどんな仕事しても構わないので、好きなとこで好きなことやって言いたいこと言っていきましょう。
【好きを明確に】結局コレが凄く大事ですね!
この件についてこのブログに書くかどうか一瞬考えましたが、2ヶ月間に渡って私のリソースの大半を使ったので放出してメモリを開放しないと次へ進めないような気がして書かせてもらいました。5000文字を超える長文、最後まで読んでいただきありがとうございました。安心して福祉に任せられるようになるまでもう少しだけ頑張ります。